休日の充実

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ブラタモリ浜松 なぜ浜松が楽器の産地になったか

 浜松は、ピアノも、管楽器も、電子ピアノも鍵盤ハーモニカも、世界シェア第一位だそうです。

 ピアノはそうかなと思ったけど、管楽器もなんだ。それが最初の感想でした。

 まずは、ピアノが作られるようになった経緯を探っていました。
1 天竜川の河岸段丘と、徳川家康
 浜松は家康ゆかりの地であったこと、東の武田からの攻撃を防ぐため、天竜川の河岸段丘を利用して石垣を造り、城を築いた。そこには町が当然できる。

2 天竜川と綿花
 温暖な気候、天竜川の洪水。天竜川は暴れ川と言われるように、毎年のように洪水を起こしていたようです。それに耐えれるものとは。流されないようにするため、土地をかさ上げして綿花を栽培していたそう。温暖なところでは昔はよく綿花栽培が行われていたようですが、盛り土をするという工夫をしていたんですね。

3 織機と木工職人
 綿花の産地で織物が盛んになるのは世の常。倉
敷もそうだな。そのためには織機が必要になるし、それを作ったり修理したりする職人が必要になる。技術のある職人が当然現れるでしょう。

4 織機造りの技術が生かされて楽器を
 明治時代には学校にオルガンが導入された。アメリカ製のものだったそうで、それが故障したとき修理に携わったのが、山葉寅楠という技術者だった。山葉さんは、国産ピアノをつくるため、アメリカに留学して試行錯誤を重ね、1900年に初の国産ピアノを完成させた。ピアノも織機からか、と思ってしまった。トヨタも織機からだったな。織機は複雑な動きをするため、高い技術が必要だそうです。

5 楽器と地形
 南アルプスの木材が天竜川で運ばれて浜松に集積されていた。当然、木材の技術者がいただろう。地形のお陰で、材料と技術があったことになる。北アルプス中央アルプスのお陰で、北西の季節風が吹く時期に乾いた空っ風が吹いた。それが、木材の乾燥に欠かせない条件。地形、気候のお陰で、より良い木材ができたことになる。

こうして、浜松はビアノの生産地になったわけです。ここから管楽器にどう繋がるのか。


 戦前、浜松には航空部隊があったそうです。東京と大阪の中間地点であったこと、平地が広がっていて滑走路をつくりやすかったこと等が理由だそうです。
 そこでピアノの技術が使われたという。なんだろう、と思うよね。プロペラだって。当時、プロペラは木製だった。驚きです。それが金属に変わる。そりゃそうだよね。引き続きプロペラを作るわけだから、金属加工の技術が生まれます。そこから管楽器に繋がるのか。これは初知りでした。

 ブラタモリは毎週録画して見ていますが、今回のが一番面白かったです。産業が起こるには、気候、地形、技術、人、そしてその地の藩主などそこを治めていた人が大きく関わっていると思うのです。産業の起こりを地理的、歴史的観点から探っていくことがやはり私は好きなんだ。そう再認識させられました。