休日の充実

休日を充実させるために行動したことを綴ります

中世の城 湯築城跡 道後公園

道後公園。動物園の跡地だと思っていました。
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ところが行ってみると、中世の城の跡地だとわかり、急に興味津々。

湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏南北朝期から戦国期まで、約250年にわたって居城としていたようです。江戸時代は伊予松山潘の管理下に置かれ、明治期からは県立の都市公園や植物園等として、昭和の時代には動物園としても利用されていました。

それでは公園に入ります。まず池があり、そこには鯉が泳ぎ、蓮の葉が広がっていました。
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実はこれがかつての内堀だったようです。

そこから山に登ってみました。かつての城があったところ。
公園も山もよく手入れされていました。さすが。
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木の剪定の仕方もおもろい。無駄に横に広がるのを防ぐためかな、枝打ちした跡を炭で焼いたような後がありました。
手入れが行き届いているので、山の中もほどよく光が当たっています。

頂上は平らな場所が広がっていました。距離的にも、高さも、鹿島より楽でした、今は桜の名所になっているようです。桜の木がたくさんありました。
頂上からの風景です
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下りていくと、岩壁が。天然の要塞。岩壁をうまく利用して城を造ったようです。
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途中には神社もありました。


下山して武家屋敷、湯築城資料館へ。
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ここは中世の城なので、堀が小さい。近世の城、松山城は立派な大きい堀があります。この違いは、鉄砲が使われていたか否かにあるそうです。

そして驚いたのは、昭和62年に動物園が移転してからの発掘調査でこれらのことがわかったということ。
新たな発見でした。