休日の充実

休日を充実させるために行動したことを綴ります

20年ぶりに、学生時代の友人4人で再会

仕事のこと、子どものこと、社会のことなと、遠慮せずに話せる仲間と。
今年はひょんなことから学生時代の友人と20年ぶりに会うことになりました。

この日なら行ける、と思った私は、その1週間前に1人に連絡すると、そこからは早かった。その日のうちに時間と場所が決まり、4人で会えることになりました。便利になったもんだ。今はメールやLINEでやり取りしてすぐに決まるから。学生時代には携帯などなく、待ち合わせ場所を決めていてもすれ違いで会えないこともあったなあ、デパートの店内放送をお願いしたこともあったっけ。

楽しみにしていた当日になり、みんなどうなってるかなあ、変わらないかなあ、老けてるかなあ、等思いながら向かいました。一人は健康的に痩せていて若々しかった。あとの2人も変わらない。20年の時を感じさせないものがありました。

それぞれ現状報告。仕事のこと、子どものこと、家族のこと。一人は、1年ほど前にご主人が大病をして大変だったようです。それでも、少し麻痺が残ったものの、日常生活に支障がないくらいまで回復していました。よかった。みんな健康が第一だよな。もう50代なんだから。

子どもたちはそれぞれ大学生になったり、就職したり、成長して家を出ていました。これからは、私たちが自分のために時間を使える時期になったということですね。

それからいろんな話をしました。職場の空気、本来どうあるべきか。政治、経済、社会に関して。ネット社会で自分にとって都合がいい情報だけ受け取って自分と違う考え方を排除しようとする動きが強いことに危機感を感じる、という話など。遠慮せず、どう思われるかなど気にせず思ったことを話せることが快感でした。理不尽なことにたいしてはっきりものを言うところ、変わってない。私は、無難に済ませるようになってしまったなと改めて感じた次第です。

そのなかでも、大学時代に教授の話で強烈に残っていることとして、

論説はそれを書いた人の色眼鏡を通して述べられている

これが、話題に上がったことが、私のなかでは一番の収穫かな。私は覚えてなかったのですが、1人が、この言葉で大学が充実したものになった、と語っていました。同じことを見ても聞いても、感じること、入力する内容は人それぞれですからね。同じニュースを扱っても、新聞社によって内容が違うように。

こういう話ができることで、お互いに貴重な時間を過ごすことができたのでは、と思います。

これからは定期的に会うことになりそうな、そんな予感がします。